植村知一郎エッセイ

『戦火を生き延びた花 チシマイワナデシコ』 PART1
(メルマガ第1回掲載)

 チシマイワナデシコは、太平洋戦争前、日本最北端の千島列島で発見された。島の断崖絶壁などに生息する。ナデシコ科の多年草。直径5センチ以上の花を咲かせ、花は鮮やかなピンク色、他のナデシコよりも二回りほど大きい。花びらは一枚ずつ離れており(離弁花類)切り込みも深い。

 殆どのナデシコが夏咲きだが、チシマイワナデシコは、春、5月頃に咲く。 日本・ロシア間が領土問題で揺れている北方領土の花だ。山野草の中でも超希少種である。

 北の花・チシマイワナデシコが、どんな方法で本州に持ち込まれたのか。野草愛好家の長老たちに語り継がれている話では、「真珠湾攻撃後、数ヶ月続いた帝国海軍快進撃の際、山野草好きの海軍兵がチシマイワナデシコを見つけ、あまりの美しさに本土へ持ち帰った。貴重なので即座に挿し芽をして、都内の愛好者間で増やした」というのが定説になっている。その一部が東京大空襲を逃れて戦火を生き延び、野草好きの趣味団体や愛好家によって受け継がれているようだ。(右写真:チシマイワナデシコ)


どうやって戦火を逃れた?

 昭和20年、日本本土は東京大空襲をはじめ、各地で戦火に襲われる。千島岩ナデシコに特定した話ではないが、戦火が激しくなると、乏しい生活物資と一緒に、大八車に草花の鉢を積み、焼け跡を徘徊した花の愛好家もいたそうだ。

 着のみ着のまま、そして明日の命もどうなるかわからない状況で、花を家族同然に愛した人々がいたのを聞くと嬉しくなる。(もっとも当時は、ひんしゅくものだったかも知れないが…)

 花を"疎開"させた人たちも多い。貴重な花は、地域分散…いわゆる疎開をさせながら、愛好家たちによって増殖された。元・国立科学博物館の学芸員で、数々のユニークな解説と、植物本の執筆で知られる丸山尚敏さんは、自著「野に咲く花1(山と渓谷社刊・現在は絶版)」の中で、「大切な植物標本は殆ど戦火で焼けてしまった」としているが、「一部は、疎開の荷物の中に、偶然紛れ込んで焼け残った」ことも綴っている。当時、丸山さんは徴兵されていたので、実際には、丸山さんの両親が栃木に疎開する際、植物標本の一部と荷物を一緒に持って行った、ということだろう。


  ※愛好者たちの伝聞などを中心に、構成しています。
  記憶違いによる誤記もあるかと思いますので、お気づきの方は指摘してください。